上杉鷹山、藩主自らが率先して節約した生活を行い、透明な会計を大事にした、現代でも通用するすばらしい手法です。
| 上杉鷹山:財政の再建
上杉鷹山は、自分から進んで倹約をしていました。
江戸での一年の生活費をそれまでの七分の一である209両ほどとして、
衣服や食事、本などをまかなったそうです。
上杉鷹山の米沢での生活費は、さらに少ないものだったようです。
また、日常の食事は一汁一菜、衣服は上等な絹ではなく綿で作られたものだけで、奥女中は50人から9人に減らしました。
上杉鷹山は、家臣たちに倹約を求めるだけでなく、自らが進んで質素なくらしを実践していた、元祖「ロハス」主義者だったのかもしれません。
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明和8年(1771年)には、「御領地高並御続道一円御元払帳」という一年間の米沢藩の収入、支出、借金などを詳しく記載した帳簿が作られました。
このような帳簿は、米沢藩内ではじめて作られたと考えられています。
財政難を克服するため、財政の全体を明らかにして、役人たちに協力と理解を求めたもののようです。
その後も、このような帳簿が何度も作られているとのこと。
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上杉鷹山は、寛政の改革でより多くの人々の意見を聞くことを大事にしています。
寛政3年(1791年)、追手門前、政治所脇に「上書箱」という意見を投げ入れるための箱が設置され、所属を明確にすれば、藩士だけでなく、百姓(農民)や町人も意見書を入れることができました。
毎月1日と15日に上書箱(目安箱)が開かれ、藩主が米沢にいるときは、本丸御殿の奉行詰の間で開くほど、ここに寄せられた意見は重要なものと考えられていました。
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