本サイトで取り上げる、「上杉鷹山」とは一体何者なんでしょう?
・アメリカ元大統領が尊敬する日本人政治家
・「なせばなる、なさねばならぬ、なにごとも」の名言を残した
・米沢藩の窮地を立て直した
・現代にも通じる政治手腕を発揮した
・今なお山形県米沢市民の心に深く息づいている
ざっと羅列すると以上のような江戸時代中期の米沢藩主です。
私も、米沢市のお隣に住んでいるので、上杉鷹山のことはそれなりに知っていましたが、ふとしたきっかけで深く知ることとなりました。
人間性の深さ、現代に通じるトップとしての姿勢に共感し、他のホームページでは断片的な情報しか手に入らず、きちんとまとまったサイトがないことから、このサイトを作成しました。
まだまだ手を加える部分が残っていますが、納得できるレベルに達しましたので公開します。
たまたまご覧いただいた皆様に対し、上杉鷹山という優れた大先輩が成し遂げた事を本サイトで少しでもお伝えできれば本望です。
| 上杉鷹山とは?
上杉鷹山の名言のひとつ
「なせば為る 成さねば為らぬ 何事も」
この言葉はあまりにも有名ですよね。
以前から、この言葉は知っていましたが、実は続きがあって、
「成らぬは人の なさぬなりけり」
で完結です。
この言葉の意味は、
【やろうと思えば何でもできます。できないのはやろうと思わないからです。
やろうとすることは他人のためではなく、自分のためになるのです。】
という深い意味合いが含まれています。
最近では、損得勘定だけで行動する方が多いですが、上杉鷹山の言葉をもう一度
じっくり考えたいところですね。
| 上杉鷹山とは?
上杉鷹山は、江戸時代中期に米沢藩主(現在:山形県米沢市)として活躍し、
その業績の素晴らしさから、今でも米沢市民に親しまれている素晴らしい藩主です。
逸話ですが、私の知人が米沢旅行をしている際、上杉鷹山の話をしていると・・・
「上杉鷹山公よ!ちゃんと公(こう)をつけなさいね!あなた」
と、見知らぬおばちゃんに怒られたそうです ^^;
上杉鷹山は、今でも米沢市民に親しまれ、敬われているという証拠ですね。
何がそこまで凄いのかは、このサイトをくまなく読んでいただければ分かるように作ってます。
先走って話してしまいますと、「ものの考え方」が一貫してぶれなかったことが
一番の要因だと個人的には思います。
戦国武将の勇猛さも魅力的ですが、上杉鷹山の政治家としての器の大きさも
十分惹かれますね。
| 上杉鷹山とは?
上杉鷹山は、米沢藩生まれではありません。
非常に有名な戦国武将「伊達政宗」は米沢生まれなんですけれど。
上杉鷹山は、寛延4年(1751年)7月20日に、日向高鍋藩主・秋月種美の次男として、高鍋藩江戸屋敷で生まれたのです。
高鍋藩とは、今の宮崎県高鍋町周辺を治めていた藩で、上杉鷹山が生まれた頃は2万7千石の小藩でした。
今の宮崎県にある藩主の次男と、米沢藩。
一見なんの関連もないように思えますが、上杉鷹山の祖母が当時の米沢藩主である上杉重定と「従兄弟」の関係にあったのです。
そういったつながりが元で、上杉鷹山が9歳の時、祖母の推薦により、跡継ぎのいなかった米沢藩主、上杉重定の養子に内定したことが、高鍋藩主の次男が米沢藩主になった理由です。
| 上杉鷹山とは?